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我が家の出来事、趣味と生活を通じて感じたことなど


by arai_family
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学問としての政治

 ランチを食べながら、60歳を超えてこき使われている(>_<)先輩に水を向けてみた。「(毎月とっている月刊誌)「正論」(産経新聞)は、さぞかし丸山眞男を叩いたんでしょ?」「そうだね~」「吉田茂は南原繁(全面講和を説いた丸山の指導教授、東大総長で専門は西洋政治哲学)を批難したでしょ?」「そう、『曲学阿世』とか言ったね」。先輩は、頭のてっぺんから足のつま先まで、保守主義です。
 「ベトナムと中国の争いを見ると、日本と東南アジアの国々が結託して中国包囲網ってのを作らなきゃいけないね~。中共を転覆するような仕掛けが必要だ」っていうと、「アライにしては珍しく、保守的なことを言うね」とビックリされたけれども、共産党が支配する中国は大キライです(^^)/ なんとなく、学生時代のお粗末なゼミの議論を思い出してみた。
 丸山は、池田首相が唱えた所得倍増論が実った暁には、豊かになり教育された労働者階級が、この国の民主政治の屋台骨になって、保革2大政党制が実現すると信じたそうだけれども、結局のところはそうはならなかった。民主党が政権を獲ったいま、まさに国民の声が政治に直結するんだろうと、みんなが期待しているけれども、なかなかそうはならない。恩師 岡野加穂留は、小泉が進める構造改革をアメリカに日本を売り渡すものだといって、郵便局の民営化反対の先頭に立って、肺ガンを押してまでデモの先頭に立ったけれども、逝ってしまった。

 学問としての政治というのは、どこにそのベースを見出すべきでしょうか? 政権におもねることなく、時代にもおもねることなく、かといって、信条を伏せるべくもなく、果敢に透徹として、民主政治がいかにあるべきか、ということを突き詰めるしかありません。昨年、サンデル教授(ハーバード大)が、『正義』という言葉をモチーフにしてメディアに登場した時に、「なるほど」と思った。サンデル教授の素材の扱い方に多少乱暴さを感じながらも共感するのは、考え続けるということ、思考停止しないということです。
 「理想と現実とをどうやって埋めていくか」という難しいことを考えず、かといって天気予報のように予測もせず、白い巨塔に埋没せず、ジッと現実を見ながら考え続ける。「答えを見出した(^^)/」っていう人たちがいうことを鵜呑みにせず、毎日毎日繰り返して考える。そういう努力の積み重ねが必要な気がします。それは、政治学者の勤めではなくて、政治家の勤めでもなくて、私たちひとりひとりの勤め。それこそが民主政治(Democracy)の礎、そういう気がする昨今です。
 いずれにしても、今年は丸山眞男です。徹底的にしゃぶってみましょう(^^)/
# by arai_family | 2011-06-27 20:20 | 政治・経済について

詩を食べる

歳月が恋する者の腕の中で
きらめきながら よどむ淵をめぐり
陽射はゆっくりとまわり続け
大きな鐘の形をつくって
ぼくたちをつつんだ

昨日のように風が吹き
明日のように樹々がざわめく
しかし流れ去っていくのは
風でもなく時でもない

ばくはきみのまなざしの中に
過ぎゆく日々の光を読み
きみのしぐさの中に
訪れようとする夜々の軌跡を読む
くちづけの味を忘れぬ舌の上で
昨夜のサラダやサラミが
食べようとする笹身やわさびと出会い
今宵 重ねたスコッチの香りが
酔いざめの水の甘さとまじり合う

ぼくたちは
少しづつ過去に生き
少しづつ未来に生き

 (小さなスクリーンの中から
  ボギーは昨日も明日も見過ぎた表情で
  ぼくたちを見つめかえす
  サム・スペードよ
  いつまでも鷹を探しつづけろ
  進路は北々西 いつも上天気)

鐘が大きく鳴り響く日まで ぼくたちは
記憶と予感の間に張りわたされた
恐怖の弦をかすかにたわませて生きるだろう

見たまえ いま ぼくたちが
飲みほした盃の底に
星のまたたく奈落がひらけ
ぼくたちが交す言葉は
おびただしい花弁となって
吸いこまれていく


「時の鐘」 渡辺武信作
# by arai_family | 2011-06-25 19:52 | 日々是好日

試行と本番

 先日、原子力発電所の放射能除去装置が、弁の不具合で上手く稼働しなかった。弁の「開く」と「閉じる」の表記が間違っていたからというのが原因だ。こりゃ、そういう間違いをした東京電力は「けしからん!」と言っていた。どうも、メディアというのはそうやってセンセーショナルに煽るきらいがあって、情緒的で、それこそ「けしからんな~」と思った。私はマスメディアというのを信用していない(-_-)
 だいたい、「想定外」ということがそもそも「けしからん」のであって、「想定外」な事態に機敏に対応できるはずがない。「想定外」だから準備のしようもない。そういう事態に、「お試し」なしでいきなり「本番」で、丸腰で立ち向かっている。立ち向かわざるをえない。それが実情。お試しがないということは、それこそ想定外のことが起こりうる。そういうことに果敢にチャレンジしている東京電力を頭から否定することはまったくナンセンスだと思う。

 ふつう何かを作るときには、試行を経て本番にいたる。図面での試行しかできない建築は、入念にチェックを繰り返して、評価がされる。数年前に有名になった姉歯さん。構造計算はその一部に過ぎなくて、背反事項がないか、エラーがないか何ヵ月もかけて図面の上で確認するでしょ?!
 東京電力の試みは、待ってられない緊急事態への対応だから、構想・図面を作ったら、即本番でしょ。エラーがあるのはやむを得ない。単純なミスだって充分ありうる。そういうことを理解できずに、「これはけしからん!」といって叩くのはナンセンスだと思いますよ。未だ誰もやったことのないことをやってるんだからなおさらです。「想定外」だったんだから仕方がない。
 そういう東京電力の立場や、喫緊の状況をなんら考慮せずに叩く。これこそ不正義というものです。問題の本質は「想定外」ということ。そこにこそ問題の本質があるのです。「想定外」の犯人は誰なのか。そこに迫る気概がない人びとが、この国の世論形成に一役買っている(T_T) むしろ逃げている(-_-)

 メディアは薄っぺらい事実にスポットライトを当てて、センセーショナルな記事を書く。本質に迫らない。それが日本のメディアの幼稚なところです。
# by arai_family | 2011-06-25 16:52 | 社会・教育について

シャコンヌ

 フルトヴェングラーの良さは結局良く分からないけれども、カラヤンが好きではないことで一致(^^)/ 丸山眞男さんについてのエッセイ2冊目「丸山眞男 人生の対話」(中野雄、文春新書)を発注した。それと、シャコンヌ。ヒラリー・ハーンの無伴奏ヴァイオリン、デビュー盤。
 いまは、カラヤン指揮/ベルリン・フィルのベートーヴェンの第9交響曲を聴いてます。好きでないと言いながら、なんで聴くか? それは、グラモフォンの111枚の中に入っていたからですよ! 選んでは買わない(>_<)
 いまのベルリン・フィルの指揮者は、サイモン・ラトル。この人は、そう好きでなくはないけれども、この人の指揮したブラームスの交響曲全集は駄作だった。アマゾンの評価もあてにはならない。信用できるのは、自分の耳。だけれども、買わないと聴けない。聴いてから返品できない(T_T)

 ヒラリー・ハーンのヴァイオリンは好きですよ。活き活きとバッハが語る、ヴァイオリン協奏曲。なんでシャコンヌが欲しくなったかというと、「音楽の対話」の最後で、丸山眞男があるヴァイオリニストにこう言ったんだとか。
 「とても良い演奏会でしたよ。あなた上手だし、並外れた個性をおもちです。だから、演奏はとても面白い。お客さんはあなたを聴きに来るんだし、あなたのヴァイオリン演奏に拍手を送ってますね。ぼくはあなたにいつの日か『ああ、今夜はいいベートーヴェンを聴いたな!』という感慨が沸き上がってくるような、そんな音楽家になって欲しいんですよ」(途中略)とおっしゃったそうな。それに対して、ヴァイオリニストは「あんな恐ろしいことを言われたのは初めてです」と俯きながら語ったそうです。「彼女、頭を抱えていましたよ」(中野)「ぼくは、あの人なら出来ると思ったから言ったんです」って。
 丸山眞男の一言は厳しいけれども、ぬくもりがあるな~。それを厳しさとしか理解できないと、大成できない。その後の彼女はどうでしょう?

 その丸山眞男が1996年の敗戦記念日に亡くなって、偲ぶ会で演奏されたのが、その彼女の演奏したシャコンヌだったとか。丸山は、このシャコンヌに「執拗低音」(聞いたことのない音楽用語です。専門家も使わないらしい)という言葉を当てはめて、それを自らの日本政治思想史の研究のベースとも重ね合わせた。執拗低音とは何でしょう。丸山政治学とは何でしょう?
 まずは、どうでしょう? ヒラリーは期待を裏切らずにシャコンヌにバッハの笑顔を描き出してくれるでしょうか? 一流の演奏家がいつも最高の演奏を聴かせてくれるわけではありません。無伴奏曲でしょ! ピアノよりも弦楽器の独奏はたいへんだろうと思います。彼女は裸です(>_<)
# by arai_family | 2011-06-18 18:04 | クラリネット&オーディオ

民主政治とは何なのか?

 と、改めて考えてみようと思った。考え直してみようかと思った。先生がデモクラシーが「民主主義」ではなくて、「民主政治」なのだ、とおっしゃったことの本質が何なのか? なのです。
 いまや、さかんに大連立が連呼され、菅退陣が叫ばれているけれども、それが政党政治のあるべき姿か? 尾崎行雄だったらなんと言ったでしょう? 岡野加穂留先生だったら、どうおっしゃったんだろう。
 津波の如くに政界を襲った、大義名分なき内閣不信任案に、冷静に向き合うべき時です。私の場合、「他よりもまともそうだから」といって菅内閣に信任を与えるのではなくて、「他よりもまともに働いて欲しい。民主政治の王道を示して欲しい」と念願して、積極的に支持をいたしたくござそうろう。
 失われた、流された大義をいまいちど、国民に。私たちの、私たちのための政権です。私たちの願いを叶えて欲しい。共感、信頼。
# by arai_family | 2011-06-13 21:28 | 政治・経済について