1982年、私は大学4年生で、就職を前にしながら岡野ゼミに籍を置き、熱心に政治学の勉強をしていた。たまたま国際政治学会(IPSA)が駒場エミナースで開かれるとあって、ゼミ員の数名を誘って出かけたのを覚えている。ちょうど今頃の季節だっただろうか。休憩時間に慶応大学の内山秀夫先生をお見かけし、「どこの大学の学生か」と聞かれたので、「岡野先生に学んでいます」とお答えしたものだった。
名のとおり国際的であって、アメリカはもちろんのことインドやフィリピンなど他国からたくさんの研究者が集まる。忘れられないのはハーバード大学のカール・ドイッチュ先生。ショルダーバッグを幼稚園かけして登壇した。「食料危機はなんとかなる。野菜は工場で生産される」ということをおっしゃっていた。それから20数年経つが、野菜が工場で生産されることはない。他方、この数年前にローマ・クラブが「成長の限界」を出版し、石油資源は2000年には枯渇すると断言したが、今日さえも枯渇する気配はない。
この学会は、「南北問題の解決」がメインテーマで、「日本が発展途上国の発展モデルたりうるのかどうか」「発展途上国はどうすれば貧困から抜け出せるのか」そういったことが熱心に議論された。「chairmanではなくて、chairpersonと言うべきだ」などと外国人学者同士で喧嘩していたくらいだから(学者とは甚だ人間臭くて弱った人種なのかもしれない)、この頃は男女平等が改めて意識されはじめた頃なのであろう。あれから20年余を経て、韓国はもはや先進国の仲間入りを果たし、中国・インド・ロシア・ブラジルは、BRICSというカテゴリーで括られる発展国となった。当時は誰も想像できなかったことである。かたや今日の日本では、ブラジルを中心とした低賃金の労働を積極的に受け入れて、深刻な格差社会を迎えている。当時誰も想像しなかった国内における「南北問題」の発生、進展である。
私は83年の早春、就職を前にして一人北欧を中心に3週間の日程で旅をした。学生時代が親元からの通学だったので、親元を離れて生活する前の訓練みたいなものであった。ストックホルムは旅の主眼であった。街中の温度計は氷点下5度を示し、王様広場では小さなスケートリンクが設置され、人々が滑っていた。国立博物館でニシンが載ったオープンサンドを食べ(本当に美味しかった。この味は忘れられない)、ストックホルム大学でハンバーグを食べ、郊外を歩き回った。夕食はスーパーマーケットで適当な食材を買って、夜は博物館近くの海に浮かぶヨットのユースホステル(注)で過ごす。街ゆく人々のすべてが金髪だから、黒髪の私はさぞかし目立っただろう。それから5年ほどして、ふたたびストックホルムの地を踏んだが、黒髪の多さに驚いた。アフリカ系移民の受け入れによるもので、街の雰囲気は様変わり。市街のあちらこちらにペンキで落書きされているのを見てガッカリした。
そして今日の日本がある。移民を受け入れているわけではないが、低賃金の労働力を欲するがゆえ、多くの外国人にあふれている。そしてBRICSの台頭とは裏腹に、国内ではますます格差問題が深刻化していくのである。
注)ユースホステル
私は、この旅行で初めてユースホステルなるものを利用したが、安価で快適である。他のバックパッカー達と知り合いになれる。この旅行の忘れられない逸話はいくつもあるが、ひとつあげると、ブリュッセル北駅近くで泊まった民営のユースホステル。シャワーを浴びていると、金髪の美女が裸で入ってきて、私の隣でシャワーを浴び始めた。隣との間には磨りガラスがあるのだが、入り口からブースまではもちろんスッポンポンだから、お互いにまる見えである。別に恥ずかしい気がしなかったが、この美女を見て性的な興奮を感じもしなかった。とにかくあっけにとられたのであった。その後、仕事でブリュッセルには何度も行く機会があったが、このユースホステルを探そうとはしなかった。もう一度泊まってみてもよかったな。
名のとおり国際的であって、アメリカはもちろんのことインドやフィリピンなど他国からたくさんの研究者が集まる。忘れられないのはハーバード大学のカール・ドイッチュ先生。ショルダーバッグを幼稚園かけして登壇した。「食料危機はなんとかなる。野菜は工場で生産される」ということをおっしゃっていた。それから20数年経つが、野菜が工場で生産されることはない。他方、この数年前にローマ・クラブが「成長の限界」を出版し、石油資源は2000年には枯渇すると断言したが、今日さえも枯渇する気配はない。
この学会は、「南北問題の解決」がメインテーマで、「日本が発展途上国の発展モデルたりうるのかどうか」「発展途上国はどうすれば貧困から抜け出せるのか」そういったことが熱心に議論された。「chairmanではなくて、chairpersonと言うべきだ」などと外国人学者同士で喧嘩していたくらいだから(学者とは甚だ人間臭くて弱った人種なのかもしれない)、この頃は男女平等が改めて意識されはじめた頃なのであろう。あれから20年余を経て、韓国はもはや先進国の仲間入りを果たし、中国・インド・ロシア・ブラジルは、BRICSというカテゴリーで括られる発展国となった。当時は誰も想像できなかったことである。かたや今日の日本では、ブラジルを中心とした低賃金の労働を積極的に受け入れて、深刻な格差社会を迎えている。当時誰も想像しなかった国内における「南北問題」の発生、進展である。
私は83年の早春、就職を前にして一人北欧を中心に3週間の日程で旅をした。学生時代が親元からの通学だったので、親元を離れて生活する前の訓練みたいなものであった。ストックホルムは旅の主眼であった。街中の温度計は氷点下5度を示し、王様広場では小さなスケートリンクが設置され、人々が滑っていた。国立博物館でニシンが載ったオープンサンドを食べ(本当に美味しかった。この味は忘れられない)、ストックホルム大学でハンバーグを食べ、郊外を歩き回った。夕食はスーパーマーケットで適当な食材を買って、夜は博物館近くの海に浮かぶヨットのユースホステル(注)で過ごす。街ゆく人々のすべてが金髪だから、黒髪の私はさぞかし目立っただろう。それから5年ほどして、ふたたびストックホルムの地を踏んだが、黒髪の多さに驚いた。アフリカ系移民の受け入れによるもので、街の雰囲気は様変わり。市街のあちらこちらにペンキで落書きされているのを見てガッカリした。
そして今日の日本がある。移民を受け入れているわけではないが、低賃金の労働力を欲するがゆえ、多くの外国人にあふれている。そしてBRICSの台頭とは裏腹に、国内ではますます格差問題が深刻化していくのである。
注)ユースホステル
私は、この旅行で初めてユースホステルなるものを利用したが、安価で快適である。他のバックパッカー達と知り合いになれる。この旅行の忘れられない逸話はいくつもあるが、ひとつあげると、ブリュッセル北駅近くで泊まった民営のユースホステル。シャワーを浴びていると、金髪の美女が裸で入ってきて、私の隣でシャワーを浴び始めた。隣との間には磨りガラスがあるのだが、入り口からブースまではもちろんスッポンポンだから、お互いにまる見えである。別に恥ずかしい気がしなかったが、この美女を見て性的な興奮を感じもしなかった。とにかくあっけにとられたのであった。その後、仕事でブリュッセルには何度も行く機会があったが、このユースホステルを探そうとはしなかった。もう一度泊まってみてもよかったな。
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by arai_family
| 2007-06-16 21:03
| 政治・経済について