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我が家の出来事、趣味と生活を通じて感じたことなど


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大河の一滴

 今日のNHKニュースの構成は、よく考え抜かれたものだった。ワカメ漁の再構築、水田の復活、新しい漁船に託した想い。他方では、行方不明者の捜索に当たる警察の人たち。そして田中好子さんの死を覚悟したメッセージ。みな、大河の一滴。清らかに澄んだ一滴もあれば、どす黒くよどみ、放射線に犯された一滴もある。どの一滴もいずれは合わさってひとつの大河となって、海へ注がれる。
 どうせ生を受けたならば、その生を清らかでありたいと願うのが人情。だけれども、日々の暮らしはそんな願いを吹く飛ばしかねない、さまざまな困難が待ち受けている。私などは、100ミリどころか1000ミリ、いや1万シーベルトで犯された一滴かもしれないな~、などと思う。清らかで、汚染されたくはないと願ってやまない一滴からすると、近寄りたくない一滴だろうけれども、いずれは合わさって大河へと流れ出る。そんな感じを抱いた。
 五木寛之さんの同名のエッセイ、「大河の一滴」はそんなことまでは言ってはいないけれども、私はそこまで敢えて言いたい気がする。たとえば、行方不明者を捜索する警察の方のご苦労。察してあまりがある。遺体を発見しようとする努力。遺族にとっては宝探しだろうけれども、傷んだ死体を発見したときの驚き。辛さ。想像できますか? できれば見つけたくはない。そんな葛藤の中で、暮らしていく。いくら仕事とはいえ、辛いものだろうと思います。
 1万シーベルトの放射能に犯された水を誰も汲みたくはないでしょう。それでも汲まなければいけない。世の中には自ら1万シーベルトの水になっていく人もいて、なかなか複雑なもんです。それを清らかなる水が清らかにできるのかといえば、さにあらず。汚れた水を少しは汚染の度合いを中和するそんな効果しかないのでしょう。
 「大河の一滴」とはよく言ったもので、いずれは合わさって大きな川となる。どんなにいがみあっても、どんなに生理的に受け容れられなくても、いずれひとつになるのです。その「大河の一滴」という思想の根底に、やはり真宗の「悪人正機」といったものを見出したのは、勝手な思いかもしれません。
 どんなにいやだと思っても、あなたも私もいずれは大きなひとつの流れを作って、海へと注がれるのです。
by arai_family | 2011-04-25 20:16 | 日々是好日